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コラム

閉鎖コラム

宮城県議団事務局のつぶやき、独り言を時々つづるコーナーです。

(このコーナーは県議団事務局・斎藤晃の責任で作成・編集しています)

前月分のコラムこちらです

5月17日(金)
大震災復興と日本の古典文学
ただいま『源氏物語』に挑戦中

 今日はたいそうな見出しをつけてしまいましたが、今回のコラムは個人的な見解であることをあらかじめことわっておきます。
 実は、ただいま『源氏物語』に挑戦中です。古語で読むなどということは私には不可能なので現代語訳です。与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内寂聴などの小説家による訳が有名ですが、私は逐語訳を基本に「ひかりナビ」を付けた大塚ひかり訳(こちらは有料のちくま文庫版)と無料で読める青空文庫版の与謝野訳を併用しながら読んでいます。
 「なぜそんなことを」と思うでしょう。震災後の確か朝日新聞に掲載されたと思いますが、瀬戸内寂聴さんのエッセーを読んで、とても感動しました。寂聴さんは、無常とは常ならずという意味だと強調し、どんなどん底からでもよみがえれるという思想が日本には昔から脈々と流れている、『源氏物語』にもそれは見られるという趣旨のことを語っていました。
 瀬戸内寂聴さんと梅原猛さんの対談集『生ききる』という本でも日本人の「よみがえり」の思想が語られています。また、さだまさしさんと寂聴さんの対談集なども読み、古典を新しい角度から読んでみたいという思いがふつふつとわいてきました。さらに朝のラジオで別所哲也さんのTOKYO MORNING RADIOが毎回「瀬戸内寂聴さんの言葉」を流しています。文章にすればたった1行くらいですが、これが実に元気が出ます。「おはようございます。瀬戸内寂聴です。若さを保つ秘訣はわくわくどきどきすることです。好奇心をかきたてていろいろ挑戦してみましょう」とこんな調子です。というわけで、字数にして約100万字、400字詰め原稿用紙で2400枚という、かなり長編の古典中の古典である『源氏物語』に挑戦しているという次第です。

5月16日(木)
震災復旧工事の約4割が工期延長

 県の土木部事業管理課を通じて調査依頼していた「災害復旧工事における工期延長の状況調査」の結果がやっと出ました。この調査は、党県議団が今年1月に23年度と24年度の途中昨年の12月まで分を対象に、工期延長されている工事がどのくらいあり、その主な理由は何かを明らかにしてもらいましたが、年度途中だったので、25年3月末までの分を追加集計してもらったものです。詳しくは、資料コーナーにPDF版がありますので、そちらをご覧ください。
 そこで、今回新たにわかったのは、平成23年4月から平成25年3月までの災害復旧工事の発注件数は1168件で、そのうち工期延長になったのは481件、実に41.2%もあること、その理由では今年1月の資料と比較すると資材入手の遅れが飛躍的に拡大していることが特徴です。
 これからも震災復旧工事はさらに拡大しますが、一方で資材不足や様々な要因で工期が遅れ気味になっている現実を直視する必要があります。したがって、入札不調や工期延長状況のこうした事態をふまえれば、復旧・復興を確実に進めるための総合的な対策が必要になっています。

5月15日(水)
県庁前花時計が動きました

 4月末のコラムで書いたように、県庁前の花時計が止まっていましたが、今日見たら、やっと動き出してました。モ-タ-の修理がやっと終わったのでしょう。ぜひ復興の時を刻むように、間断なく動かして欲しいと思います。
 実は、この花時計にはかなりのセキュリティーがかけられています。毎朝とも歩きをしている全盲のYさんが花時計を体で感じたいというので、私が付き添って案内しました。実感してもらうために、ちょっと近づいて針の先端に触れた途端、警備員が飛んできたことがあります。人が触ったりすれば、警備員室にに異常発生を知らせるシステムになっているようです。みなさま、けっして近づいても花時計の針には触れないように、ご注意ください。

5月15日(水)
昨日の海区漁業調整委員会
傍聴制限には問題あり

 本日の新聞各紙は、県内ニュースで、昨日の海区漁業調整委員会が県の区割り案に対し修正意見付き答申を出したと報じられています。桃浦における理不尽な県の区割り案が批判され、県漁協との合意をふまえた内容に改善を求める答申となったようで、委員会の激論の様子がうかがわれます。実は、委員会の持ち方をめぐりひと議論がありました。
 14日の宮城海区漁業調整委員会に横田県議団長からぜひ傍聴をという指示もあり、1時間前に受付しに行きました。すでに漁協の関係者が来ていて、代理で傍聴出席者を代筆していたところ、「代筆はだめ」「先着10名まで自筆署名した順番」となり、それまでの受付名簿はご破算になり、私がトップで記名し傍聴者第一号となりました。その後、次々と傍聴者が集まり、30分前には定員の10名に達したからと、県民センターの綱島さんや小川さん、この日傍聴のためにだけ仙台に出てきた三浦一敏県議も、さらに県漁協の関係者も廊下にあふれ、傍聴できない事態となりました。
 委員会の冒頭でA委員からマスコミの撮影全面解禁(今は冒頭撮影だけ)や傍聴者の制限をやめるようにとの意見表明がありましたが、県側の回答が「委員会の運営要領を変更しないと難しい」というものだったので、傍聴者を10名以上にすることは今回は無理と判断し、私は一端登録した傍聴権利を辞退することにして綱島代表にゆずりました。今回の傍聴をめぐる問題では、なんとも県側の手際の悪さが目立つとともに、水産特区問題で揺れる場面を報道されることにおそらく抵抗があったというのが真相だと思います。
 法律では、委員会は公開とされています。傍聴を希望する方を原則認めるべきです。会場の都合で、消防法上の収容定員というのがあるのなら、その目一杯までは認めるべきです。今回の場合に、本当に10名という定員が11階の第二会議室の収容からいってぎりぎりなのか疑問があります。私が見たところ、あと十人程度は充分余裕があったように思います。とすれば、県側がこだわったのは、一端10名定員と公示したという形式的手続き論しかありません。
 今回のようなケースの場合は、通常と違って水産特区問題もあって、委員会傍聴が飛躍的に増える要素はあったし、事前に充分にそれが予測できたわけですから、例え通常の定員が10名だったとしても増やすべきだったと思います。そして、現場でその定員が越える場合は、委員会にはかり、客観的にスペースの余裕が実態的にあるのですから、委員のみなさんの了解で傍聴定員を増やす手続きをしても良かったと思います。それが法の公開という趣旨を活かす道だと思います。

5月14日(火)
庶民の思いを吐く川柳
なるほどなの時事吟

 昨日、風しんの予防対策について、県の疾病・感染症対策室長から説明を受けました。その内容は、資料コーナーに掲載したので、そちらを見て下さい。
 本日の「よみうり川柳」に次の句が入選していました。
 ご破算にしたい風疹のネズミ算(5月14日付『読売』よみうり川柳より)
 本日、赤旗記者のMさんに風しんの話をしたら、彼は大学生時代にかかり、結局1年間休学する羽目になったそうです。しみじみ「大人の感染は恐ろしい」と言ってました。
 川柳と言えば、先日の衆議院の大震災特別委での参考人陳述で、東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターの綱島不二雄代表が川柳を引用していたのを御存じでしょうか。実は、綱島さんが陳述内容の検討のために5月2日に県議団控室にたちよったのですが、その時に、私は前日(5月1日)の『河北新報』の「河北川柳」(雫石隆子選)に掲載された以下の句を紹介しました。
 津波以後特区が浜をまた揺すり(5月1日付『河北』河北川柳より)
 この句が国会の陳述でも綱島代表から語られていますので、興味と関心のある方は、資料コーナーから陳述の議事速記録をお読み下さい。

5月13日(月)
今週のラジオ「吉永小百合です」は
被災地・南三陸町特集でした

震災から10日後に現地で撮影した南三陸の防災庁舎

 吉永小百合さんのラジオトークに毎回癒やされている一人です。宮城県ではTBCラジオで日曜日の深夜、正確には月曜日の0時から放送されています。
 今週は先日吉永さんがCM撮影の関係ではじめて訪れたという南三陸町の話が30分間ありました。南三陸のホテル観洋に宿泊したこと、そこの女将さんや従業員が震災の語部になっている話、サンサン商店街(太陽がふりそそぐという意味)で蟹やカレイを買った話、佐藤信一さんという地元の写真家の手による写真集の話、志津川高校2年4組の方々の作詞作曲した曲の演奏、福島の和合亮一さんがつくった南三陸町を題材にした詩の朗読など盛りだくさんの内容でした。
 私が南三陸で思い出すのはいくつもあります。まず、何よりも私の親友だった雑誌記者のF君が南三陸で津波にのまれいまだに行方不明です。3月11日に役場を取材中だったF君は町長らとともに防災庁舎に避難しましたが、屋上のフェンスにつかまった彼は流されてしまったのです。
 もう一つあげれば、被災直後に県議団は地元の大滝りう子町議が避難していた旭が丘コミュニティセンターに行きましたが、そこの避難者のみなさんが前向きに生きていく糧として川柳をつくりはじめ、それが週刊誌などで紹介され、本にもなっています。「すっぴんで 外に出る日が 来るなんて」「大津波 みんな流して バカヤロー」等々。宮城県図書館の震災コーナーに行けば、その本があって、私はそれを借りて読みました。「がんばりやぎかいマドンナ感謝です」という句もあって、日本共産党の大滝町議がみんなの信頼を集めてがんばった姿を句にしてくださった方もいて、私は感動しました。

5月10日(金)
水産特区で「そこまで言う」の
知事のとんでも発言を思い出す

昨年9月に桃浦の浜を調査した時の写真

 8日の衆議院での参考人質疑を通じて、宮城県の村井知事の「水産特区」がいかに拙速で理不尽か、浮き彫りになったと思います。
 私も去年の資料をやっと見つけました。これはおそらくこのコラムで初公開と思うが、昨年8月末に宮城県石巻市桃浦(もものうら)に合同会社(LLC)が結成された時に、知事が直接出向いて語った内容です。
 「今日、本来なら16人で会社を設立する予定だったが、Kさんがどうしてもということで参加できなかった。皆さんとしては、仲間であるKさんが入って16人でやった方が良かったと思っていると思う。今のところ私も動きは取れないが皆さんから、『知事からもKさんに声がけしてくれないか?』となれば、私は喜んで汗を流す気持ちでいる」(2012年8月31日の桃浦での知事発言。Kさんは実名で語られていますが、ここではイニシャルにしました)
 私はこれを読んだ時に、そこまで言うのとあ然としました。一人でも反対者が出たことが余程悔しかったのでしょう。自分が会って説得してもよいということをのべているのです。ここからも読み取れるように、いま問題になっている「水産特区」は、知事が直接指揮して進行するという異常きわまりない展開ぶりです。
 医療費減免継続を求める仮設住宅に住む被災者からは逃げまくり、母親大会実行委員会の方々とは何ヶ月も前から面会をお願いしてもけっして会おうとしない知事が、水産特区に反対する漁民には身を乗り出しても会いたいという、まことに本末転倒した話です。

5月9日(木)
国会での参考人質疑を観て

 昨日、衆議院東日本大震災復興特別委員会で参考人陳述と質疑がおこなわれました。私は国会のネット中継でリアルタイムで観ました。どの陳述人も切実な復興課題をのべ、現状の問題点を提起していました。その中で、私がとくになるほどと思ったのは、東日本大震災復旧・復興支援みやぎ県民センターの綱島不二雄代表の陳述と質疑で水産特区にふれ、漁民の思いといかに逆行しているかをのべた部分です。
 綱島さんは、岩手と宮城の発災直後の対応の違いにふれ、「岩手県は111ある漁港の全部を復旧すると言ったが、宮城県は142の漁港を集約化し水産特区をやると言った」とのべ、漁民への最初のメッセージのこの違いが大きかったことを強調しました。やはり、こういう大災害の時には、復旧に全力をあげた上で復興をどうするのかを考えるのが筋です。それを上からの目線で、復旧はそっちのけでこの際民間企業に漁場を開放しようなどとメッセージを出すことの愚劣さは本当に許せないことです。
 午前は福島からで午後は宮城・岩手からの陳述でしたが、これを本日の新聞で報道しているのは『河北新報』だけですが、どういう方が陳述したのかという情報も意図的に選択した報道です。関心ある方は、下記のURLからビデオ視聴してください。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=42731&media_type=fp>

5月7日(火)
県議会質問・討論集ができました

最近の県議団討論集

 2012年度の党県議団の「質問・討論集」がすでに4月に完成していましたが、連休明けの今日発送で各団体・個人に送られます。今回の討論集は、4人の県議団になって、震災2年目の本格論戦ということで、見所満載です。多士済々の県議ですから、論戦もそれぞれの持ち味をいかしたものとなっています。
 資本論の訳者などで有名な服部文男先生(東北大学名誉教授、故人)に討論集を送ったところ、読後感想の丁重なお手紙をいただき恐縮したことがありますが、先生はしっかり読んで論戦を大変褒めてくれました。事務局としては、記録のつもりで毎年作成しているのですが、これが結構役立ちます。例えば、2月の予算議会で何に反対したのかなど、討論で確認します。継続的に値上げされている公共料金などは、前回はどういう議論をしたのかなどすぐ確認できます。やはり論戦には、継続性と発展性が重要ですから、こういう記録集は大変重宝します。

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